なぜか柿の木だけは大切にする父
うちの庭には実がなったり花が咲いたりする木が何本かあります。
しかし父は木が花を咲かせるのが気に食わないらしく、花芽がつきそうな枝を積極的に切り落としています。
花が咲かないと当然実もなりません。
花や果実をを楽しみにしている母は、父が剪定ばさみをもって庭をうろうろしているのを見ると、警戒を強めます。
アスペルガーの父には、木が花を咲かせないようにする独自の理屈があるんでしょうが、周りの人間にとっては理解できません。
花をきれいだと思う心はないのかな、と思うとちょっと寂しい。
そんな中でもなぜか柿の木だけは別格で、
柿の実がたくさんできるように、丁寧に剪定をおこなっているようです。
しかしけっこう大きい木なので、上のほうの枝を切るのはかなりたいへん。
枝切ばさみを長く伸ばしても届かないのか、上を見上げ続けるのがつらいせいなのかわかりませんが、気が付くと木の枝の上に父がのぼっていることがあります。
足元を見ると、いつもサンダル。
そもそも脚立の上に立つことすら怖く感じる私から見ると、木の枝の上に立って作業をしている父の姿すら危なっかしいのですが、なぜサンダル・・・
ふつうに歩いているときでさえうっかりすると脱げそうになるのに、足元がおぼつかない、踏み外したら大けが間違いなしの木の枝の上にいるサンダル履きの父をみていると、こっちが震えてきそうです。
「サンダルは危ないんじゃない?」
とは、何度もなげかけた言葉ですが、父の意識のどこにもとどまることなく、
今年も柿の木の上にはサンダルが見えます。