大人になってからはお祭りと名の付くものにはいっさい行かなくなりましたが、子供のころは毎年「お釈迦祭り」に行くのを楽しみにしていました。
お目当てはあんず飴。
毒々しい(当時はおいしそうに見えていた)赤い色のあんずが、水あめでくるまれたお菓子で、甘酸っぱさが気に入っていました。
あんず飴の露店では、必ずじゃんけんとかくじ引きがあって、結果によって同じ値段でももらえる個数が変わります。
おそらくですけど、1個じゃありえないほど、ぼったくり価格だったんでしょうね・・・・
このお題についてかかれたブログをみさせていただいたところ、りんご飴、というのがいくつかあったんですが、わたしはりんご飴を一度も食べたことがありません。
売ってるのをいつも見ていたけど、つねにあんず飴のほうに吸い寄せられてました。
りんごでなく、あんずにひかれてた理由。
それは、うちの庭にあんずの木があったから。
今はもう枯れてなくなってしまいましたが、毎年きれいな花を咲かせ、たくさんの実をつけて良い香りを放っていました。
おかげで、実が熟す頃には、甘酸っぱくておいしいあんずのおやつを、食べていました。
その記憶が、
「あんず飴=おいしいもの」
という強烈な刷り込みの元になっていたのではないか、という気がします。
あんず飴とかりんご飴って、ふだんお店で見かけることがなく、露店でしか買えないのでなんとなく価値がありそうに感じてました。
お店の人にとって子供は良いカモだったんだろうなあ。
お祭りの記憶も、あんず飴の記憶も、わたしにとって楽しいだけのものではなくて、
考えなしだった子供のころの、どちらかというと苦い記憶です。