もこまる諸行無常なブログ

明るいけど頑固なところもある母、アスペルガー症候群の父、難病もちの私の3人家族です

テイカー&ギバー

なんとなく気づいてはいたけれど、私は根っこの部分がテイカーだと思う。

本や漫画をよく読んでいたから、ギバーが愛されることは知ってた。

知識として知ってはいたけど、やってることはテイカーだった。

たどれる限りの記憶を引っ張り出すと、火をつけて全部燃やしたいくらいけち臭い行動をしてました。

 

はさみやのりを貸すことすら渋ってました。

まぁ全然知らない人にノート貸してとか言われるのはちょっと筋が違うかと思うけども、友人にすら何かを提供するという気持ちをこれっぽっちも持ってなかった。

そんな人間と友達でいたいと思いませんよね。

わたしならつきあいません。

 

自分はもっと大事にされてもいいはずなのに、なんでひどい扱いを受けるんだろうと思ってたけど、自分の行動のせいも大いにあったんだな、と今ならわかります。

自分がしてほしいと思うことを、まず自分がやらなければ始まらない。

 

わたしは人づきあいがあまり好きじゃないし、大勢でわいわいするのもちっとも楽しいと思わないたちなので、とにかくたくさんの人と関わりたいという願望はない。

昔はそういうのもちょっとあった気がするし、ネット上でつながりを持ちたいと頑張ってた時期もあったけど、結局自分にはそういうのは向いてなかったんだな、と今になってしみじみ思う。

あのころ知り合った人たちとはもう全然付き合いがないのは、わたしがずっとテイカーとしてふるまっていたからだと思う。

いろんなことを周りがやってくれて当然だと思ってたから。

特別な才能もなく、労力もお金も出そうとしないような人間と付き合い続けるメリットはないものね。

 

イカーとしてのふるまいを思い出すと、壁に頭をうちつけてうわあああと叫びだしたくなる。

存在を消したくなる。

わたしに古い知り合いがいないのは、そういうことだと思う。

 

賢くふるまっているつもりで、じつに頭の悪い生き方をしていました。

わざわざ居心地の悪い場所を作って、殻に閉じこもって。

でもそういうことは、そのとき誰かが言ってくれたとしても腹落ちすることなく過ごしていたでしょう。

 

細かい文字が読みにくいこの年になってようやく、そうだよねそうだよね、挨拶も労力もお金も、さっと少し先に出せると世の中は生きやすくなるんだよね、という真理が頭の中に響いてきました。

だからといって根っこを入れ替えるのはなかなか難しいと思いますが、叫びたくなる思い出を増やさないようにしたいものです。

 

最近では、とあるレストランでいったん先に注文したスープとサラダを取り消して、両方サラダに変えてもらったことがありました。

その後の店員さんの対応がなんとなく冷たかったのは、変えてもらって当然という態度で頼んだせいだったのかな、という気がしてます。

イカー気質が出ちゃいましたね。

よく知らないシステムのレストランとか、苦手です。

なにか失敗すると嫌な記憶として残るからで、相手からしたらすぐ忘れられてる程度のことをずっと引きずってたりします。

 

豊かに生きるためには人に恵まれる必要があるとしたら、わたしには難しいかもしれないな、と感じます。

犬と猫なら大好きなんですけども。

 

 

パソコン買い換え

パソコン買いました!

年末に、いつものようにパソコンの電源を押しても入らなくて冷や汗。

何度も押したらついたので、その後はスリープモードで使用。

しかしもう買ってから5年たつし、新しいのを買うことに。

ちょっとお安くなるキャンペーンにつられるも、早まって普通に買ってしまうというドジを踏んだりしつつ、とりあえず結構性能よさげなノートパソコンを買いました。

デスクトップからノートにした理由は、重さ。

古いデスクトップは下取りに出すことにしたんですが、いまは足の具合がよくないしものすごく重いしで2階にあるものを1階におろすのがたいへんなミッション。

もう一度運ぶのがもう無理そうということでデスクトップをやめてノートに決めました。

デスクトップ買った5年前は、元気だったなあ。

こんなよろよろな体になるとは思ってなかった・・・

京樽 まごわやさしいちらし寿司

         


法事に行った母が、お昼にお弁当を買ってきてくれた。

京樽のまごわやさしいちらし寿司。

まごわやさしいとは

郷土料理か魚料理の名前かと思いましたが、調べてみると

ま=豆 ご=ごま わ=わかめ や=野菜 さ=魚 し=しいたけ い=芋

という、1日1回は取りたい7種類の和の食材の頭文字の合言葉らしい。

知らなかった。

わかめは入ってなかった気がするけど。

栄養バランスは気にするほうで、1回の食事に野菜なしとかタンパク質なしとかだとなんとなくそわそわする。

炭水化物はどっちかというと取りすぎが気になる。

 

酢飯の上に、まごわやさしい食材がたくさん乗ったちらし寿司。

持って帰ってくる途中でちょっと崩れたようだけど、華やかな見た目で食欲をそそられます。

 

お弁当になっていると気分が2割アップ

ちらし寿司、というと

「・・・・ちょっとしょっぱい気が」

「・・・・全体が同じ味な気が」

などとわたしには量が多すぎるせいで全部食べ切る前に飽きてしまった記憶があるのですが、お弁当は適度に小さかったので最後までおいしくいただけました。

そして、一つの箱の中にすべてがつまっている、というお弁当の形態になっているとなぜか2割おいしさがアップする気がするんですが。

冷凍食品のお弁当用のとんかつとか春巻きだって、外の世界じゃ主役ははれないけど、弁当箱の中だったら堂々たる存在感を放っていると思う。

 

ふつうにごはんと梅干でたべるよりおにぎりになっていたほうが3割おいしく感じる、という感覚と通じるものがあるかもしれない。

 

お弁当の世界というのも、意外と奥深いものです。

 

 

保険証とマイナカード、紐づけの意義とは

会社の保険を抜けてもマイナカードがあれば安心!と思ってたのに

先日、会社の保険を抜けて、国民健康保険に加入しました。

保険証も新しくなりましたが、マイナンバーカードに紐づけてあるし、もういらないんじゃないの?くらいに思ってました。

ゆくゆくはマイナカードに一本化するって、いってましたよね?

 

で、いつもかかっている病院へいってマイナカードで受付したところ

「保険証変わってますか?」

ときかれ、

「変わりました」

「原本コピーさせてください」

って、マイナカード=保険証になったんじゃなかったの?

頭の中にハテナが飛び交いましたが、おそらく国のシステムがポンコツで連携が不十分なせいであって、受付の人の責任ではないでしょう。

しかし私の中で飛び交っているハテナの空気を感じたらしく、受付の人は申し訳なさそうにしていました。

 

薬局でも保険証の原本を求められる、なぜ

その後、薬局でも同じやりとり。

マイナカードのポンコツぶりにがっかりです。

保険証が変わったら、新しい保険証として役に立ってくれなくちゃ困る。

「変わりましたよ」

って伝えるだけなら口でも言えます。

 

こんな調子で本当に保険証をマイナカードに1本化できる日がくるのか?

運転免許証も一緒にする予定でしたっけ?

そもそもマイナカードの存在そのものにすら疑問を付されている現状。

「本当にこれは便利!国民全員がもつべきもの!」

と、玉川さん(テレビ朝日の名物職員コメンテイター)を納得させられる日がくるのか、はなはだ不安です。

 

心のこもらない盛り付けに明日はない。

外食するため、東松山ピオニウォークへ

平日の午後6時前、店内は閑散としていました。

父の提案で外食することになった日。

レストラン街もがらがらで、どこでも入り放題。

いつもはどこも外まで行列だったからちょっと期待に胸が躍ります。

しかしなぜか、いつも家で食べてるようなメニューの店に吸い込まれそうになる。

なぜなのか?

考えてみると、ふだんの母が作ってくれる料理はどれもおいしいから、外で食べてもおいしいのかもしれない。

というわけで、和食の定食の店、五穀に入りました。

 

まごころの感じられない盛り付け、山里定食

わたしは鳥の塩麹焼きがメインの山里定食。

          

五穀ご飯、味噌汁、牛肉の佃煮、豆腐の豆乳煮込み、鶏の塩麹焼き(ネギ塩だれ)、わらび餅

 

鶏肉とか、ごはんの盛り付けとか、そこはかとなく漂う適当感・・・

見た目をおいしそうにしようというちょっとした気遣いのなさが表れてしまっている。

 

何に使うのか謎の瓶

おまけにちょっと冷めていて、店名でもある五穀米のごはんは、ぱさっとしている。

我が家の炊飯器で炊いた炊き立ての雑穀ごはんのほうがおいしい。

父の料理には醤油の瓶とだし汁のようなものが入った瓶が乗っていましたが、店員さんからは何の説明もありません。

かけるものが2種類あったら、これをこうして、とか説明があるものなのでは。

瓶に入っているのがなにで、どうやって使うものなのか、最後までわかりませんでした。

なんか不親切。

どの料理も平均点

まずい、というわけではないけど、おいしい!というわけでもない。

むしろセブンイレブンのおにぎりとかマクドナルドのハンバーガーのほうが、

「いつも食べてるのと違う!」

という驚きのスパイスがある。

 

レストランとは、いつもの食事にはない驚きを求める場所。

ふだん食べているものと変わらないくらいのクオリティに、まごころのこもらないサービス、お金を払う価値を感じませんでした。

店員さんにも、自分たちが提供しているものの価値を高める努力が必要かな、と思いました。

 

元同僚に偶然会えてうれしくなった話

帰り道で元同僚と遭遇

先日、スーパーへ寄るためにいつもと少し違う経路で自転車を押しつつてくてく歩いていたところ、

「あ、もこまるさん?」

という小さな声が聞こえて、そちらを見たら元同僚でした。

 

一緒に働いていた職場をやめていった人なんですが、

穏やかで仕事もできる人なので、わたしはずっと一緒に働いていたかった。

彼女が辞めるときいたとき

「なんで辞めちゃうの?」

って聞きたかったけど、立ち入りすぎかなと思って聞けませんでした。

そのあともずっと、辞めたいと思った理由について気になって引っ掛かり続けていました。

人間関係、悪くないと思ってたけどなにか不満があったのかな、とか・・・

 

あとで人づてに聞いたところによると

「社長にやめさせられちゃったの。ほんとはやめたくなかったんだけど」

と言っていたとのこと。

今に至ってもその詳しい理由を尋ねていません。

正直にいうと、彼女が職場に不満があって辞めたんじゃないっていうことを知れただけで安心したから・・・

 

また一緒に働きたい、と言ってもらえたのが嬉しかった

その後、転職先の職場で人間関係がうまくいっていないという話を聞きました。

彼女が辞めたあと社長も変わったので、もし戻れるならまた一緒に働きたい、と言ってもらえた時は舞い上がりそうなほどうれしかったです。

しかし個人経営だった以前とは違ってやや大きい企業の一部となった会社の雇用は、一度辞めた人に対しては厳しかった。

簡単に希望が叶うとは思っていなかったけど、彼女から

「採用してもらえないか電話したけどいまは募集してないって断られちゃった」

というラインをもらったときは本当にがっかりしました。

 

彼女はいまは別の会社に転職し、いろいろあるけど頑張っている、と言っていました。

わたしが勧めたNISAでの投資も、始めたよ、って言っていたので今度ゆっくり話すときは投資の話で盛り上がれそうです。

 

人が少ないまま発車したバスは火事になる!

 

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

 

こどものころ、世界は謎に満ちていました。

おとなになっても、「なんで?」って聞かれたらちゃんと答えられないことだらけで、じつはわかったふりをして生きているだけなのかもしれませんね。

 

バスがなかなか発車しないのはなんで?

駅から森林公園に向かうバスの車内にて。

乗り込んで席に座り、外を眺め、早く遊びたくてうずうずしているのになかなか発車しないので、母に尋ねた。

「なんで出発しないの?」

すると母は答えた。

「火事になるからよ」

それをきいてわたしは考えた。

そういえば、

バスガス爆発

という早口言葉があるけど、あれって人がたくさんのってないとバスが火を噴くからなんだ。

・・・・・

これは恐ろしい事実だったので、バスに乗るたびに心配でした。

いったい何人乗っていればバスは火事にならないのか?

「こんなにお客さんの数が少ないのに、走って大丈夫なのかな、このバス」

と、尋ねるわたしに対する、母の無責任な

「だいじょうぶでしょ」

という返事では安心できるわけがありません。

 

月日が過ぎ、おとなになって、バスに乗るたびによみがえっていたこの不安は、ある日突然解消しました。

 

もしかしてあのとき、母が言ったのは・・・

 

火事、じゃなくて、赤字・・・?

 

 

こどもとおとなのあいだ

こどもはいつかおとなになる。

その境界線はいったいどこにあるのか?

映画やテレビでは、こどもには見えておとなには見えないものがあるってよく言うけれど、わたしのこども時代にはいまよりもっと見えないものが多かったと思います。

こどもにとってのおとなは、全然別のいきもの。

いつかは同じになるといわれても、そんなわけないと思うくらいに。

だからわたしは考えた。

こどもとおとなのあいだに、もう一つの存在がある。

たぶん中学生とか、高校生あたりはきっともうこどもじゃなく、そしておとなでもない。

その存在を

中年

とよぶんだ。

 

中学生のいとことその父親の伯父さんと一緒にボート遊びをしていたとき、

「定員オーバーだけど、でもだいじょうぶ!一人はおとなじゃなくて中年だから!」

といったら、当時まだ40代だった伯父さんが

「おれは中年じゃない!」

と怒り出したので大変びっくりした。

 

今思いだしても、鼻からふっと息を吐いてしまうくらい恥ずかしい勘違いです。

でもこんなのいくらでもありました。

だってこどもは間違えながら成長していくんだもの。